心技体から体技心へ

(鎖を断ち切り扉を開放する為のパズルのピース)

 

膝関節の人工関節への置換手術後の経過が悪く、当施設へご相談に来られた80代の女性会員の方がいらっしゃいました。

 

退院後にご自宅から通える病院へ移り、週1回のリハビリトレーニングに半年間真摯に取り組まれたそうですが、脚(膝関節自体ではなくその周囲)の痛みが一向に改善せず、杖なしでは歩行が困難に成っていると言うお話しをお伺い致しました。

両足のふくらはぎの静脈には血栓も出来ていて、足の浮腫みも酷く、病院の指導で血液をサラサラにするお薬を3ヶ月程服用されたとの事ですが、血栓が除去される兆しは一向に見られないとの事でした。

病院でのリハビリトレーニングの内容をお伺いした所、椅子に腰掛け、またはベットの上に仰向けに寝て、足(脚)を持ち上げる腿前を使う運動をひたすら反復されたとの事でした。

 

歩行では地面を押え終わった後の軸足は、次のフェーズ(場面)で前方へ振り出される為に腿前の力が抜けて膝が曲がる事が自然です。

足を持ち上げる腿前の筋肉のトレーニングを反復し過ぎた結果、当施設にお見えに成った時点では、ご自身で力を抜いて膝を曲げる事が出来なく成っている程の状態でした(トレーニングで長期に渡り反復された動作がそのまま脳や神経系統に履歴として強く残り、無意識に力が抜けなく成っている状態)。

 

解剖学を中心に、また歩行動作を脚の運動として捉えますと、この様なトレーニングを行う事に成るのかも知れません(当施設の理解とは大きく異なる印象です)。

誤解を恐れずに申し上げれば、解剖学とは亡く成られた方を寝かせて解剖し、ご本人ではなく他者が動かして分析する学問です。

生きた人間が立って歩行する為の身体の機能(生体反応=脳や神経系統、呼吸循環器系の働き等)や運動物理(身体と重力、または地面反力等外力との関係や、全身の連動性等)等多くを表現出来ないトレーニングでは、対象とする身体部位は大きく異なってしまいます。

 

今回の様なケースでは、筋力トレーニング以前に姿勢や身体のアライメントの改善(脚の痛みを庇う為、腰が引けている状態も見られました)、正しい歩行動作を行えるための身体の柔軟性の獲得(身体が硬いとそもそも動かせない為)等が優先されるべきです。

また、トレーニングで対象とされるべき部位は、真逆の腿裏やお尻周りの身体の後面で有り、歩行は全身運動ですので、関連する背中や肩回り等の部位も含まなければ成りません。

(車体⦅姿勢⦆が曲がっていたりサスペンション⦅関節⦆がまともに動かない車のエンジン出力⦅筋力⦆を高めても、不具合が生じて壊れてしまう⦅身体を痛めてしまう⦆様なイメージです)

 

ご相談後にジムへご入会頂きました。

 

ジムでは約1時間弱のトレーニングに、週に3回程取り組んで頂きました(正しい歩行動作の指導等もさせて頂きました)。

お身体に負担が掛かる様な取り組みは、一切して頂いておりません(ご本人曰く、トレーニングをしていると身体が楽に成り気持ちが良く、次回のトレーニングの日が待ち遠しいとの事でした)。

 

トレーニング取り組み開始から約1ヶ月後には、滑り易い路面や人混み等転倒の不安が残る場所を除き杖なく歩行が出来る様に成り、痛みの緩和の為に貼っていた湿布薬もご不要に成ったご様子でした(短期間の大きな変化に、周囲の方々も非常に驚かれているとの事でした)。

同時期に病院の検査でふくらはぎの血栓も除去されている事が分かり、血液をサラサラにするお薬も止めて頂く事が出来ました。

血液をサラサラにするお薬を止める事が出来た為、病院側で止められていた歯の治療も開始する事が出来ました(血液をサラサラにするをお薬を服用されている間は、歯の治療中に血が止まらなく成る可能性が有る為)。

 

現在もトレーニングは継続中で、ご本人の目標は更に高い所に有る様です(高山植物の開花を見に行かれたいそうです)。

 

当施設に来られた当初の近づき難い暗いオーラは徐々になく成り、非常に前向きに成られました。

 

今回の様なケースでは、歩行改善の為のリハビリトレーニング、脚の痛みを緩和する為の湿布薬、血栓を除去する為の血液をサラサラにするお薬の投与等、それぞれの問題(症状)に対して個別のアプローチで改善に取り組む事が一般的です。

当施設では、短期間に個別の問題を同時に改善させて頂きましたが、行って頂いた取り組みは、動作改善のトレーニングのみです。

(動作改善のトレーニングのみで、高い確率で高血圧等も低下、安定させる事が出来るのですが、お話しが長く成ってしまいますので、また別の機会にご説明させて頂きます)

 

お子さんが、高校の部活動(団体競技)で代表メンバーに選出されないと、ご本人を伴いご相談に来られた方もいらっしゃいました。

 

その競技の強豪高校ともなれば、多くは小学校入学前後から競技に取り組み始めたキャリアの長い選手ばかりです。

全国各地から選出、招集されたメンバーの中から、代表の座を勝ち取る事は容易な事では有りません。

 

高校でのトレーニングの内容をお伺いした所、高重量を扱う方向性のウエイトトレーニングと、長い走り込みが中心との事でした(トレーニング後に身体の痛みが残るばかりで、パフォーマンスの向上に繋がっている実感はないご様子でした/以外かも知れませんが、筋肉痛が強く残る様なトレーニングは、身体の動きや柔軟性、心肺機能等、身体パフォーマンスの多くを失ってしまいます)。

強豪校とも成れば、諸事情が有り、競技の練習やトレーニングの内容も、多くは育成とは異なる印象です。

 

ご本人に当施設のトレーニングをご体験して頂いた所、身体が高校生と言うよりは未だ中学生に近い成長段階で、特に体幹部の姿勢維持の力が、学校で行っているウエイトトレーニングの重量を扱うレベルには無い印象でした(ウエイトトレーニングをスポーツ競技パフォーマンスの向上に繋げて頂く為には、扱う重量の重さ以前に、正しいフォームを採れるかどうかの部分が非常に重要です=重量が重すぎて正しいフォームの採れないトレーニングは、怪我や競技パフォーマンスの低下に繫がります/特定の価値観が求められるボディービルやボディーメイクの方達のトレーニングとは、フォーム等やり方も大きく異なります)。

 

代表メンバーに選出される為には、政治的な部分とも向き合わなければ成りません。

指導者の方がどの様なチーム作りを志向しているのか、また試合をする相手校に因っても選出されるメンバーに要求される能力は異なります。

団体競技に於いては、個人競技で記録を求める様なケース以上に、オールラウンドな身体能力が求められます。

 

ご相談をお受けした時点で、私の中では代表メンバー獲得へのある程度の勝算が有りました。

ご本人の身体に開発の余地が大きく残されていた事、当施設のトレーニングでは一つの身体能力だけではなく、様々な身体能力を同時に向上させる事が出来る事(複数の身体能力が向上しますと、団体競技で重要なゲーム中の状況判断能力等も、良く成る傾向に有ります)等がその理由です。

(当施設へ足を運ばれたご本人の強い意志が、私をそう思わせていた一番の理由で有ったかも知れません…)

 

ご相談後に当施設へご入会頂きました。

 

取り組み開始当初週3回の計画のトレーニングが、朝晩の練習や遠征、学校の課題やテスト勉強等の為に週1回、または全く取り組めない様な時期も有り(ご本人としては、睡眠時間とトレーニングの時間を天秤に掛ける様な状況も有ったかと思われます)、トレーニングも順調に進んだ訳では有りませんでしたが、諦める事なく何とか継続して頂きました。

 

数ヶ月後には「ゴールを奪える様に成った」(巧緻性や再現性が上がる)、「飛べる様に成った」(ジャンプ力が向上した)、「遠征先の大学でも大学生にスピードで負けていない」等の言葉もご本人の口から聞かれる様に成り、運動部員の多い学校の強歩大会での順位も、上位15パーセントから7パーセントに迄向上する様に成りました。

 

トレーニング取り組み開始から一年近くは掛かりましたが、程なくしてチームの代表メンバーにも選出される様に成り、公式戦では常に定着出来る様にも成りました。

 

競技生活や練習の厳しさから、卒業と同時に競技を終えるチームメイトも多く、ご本人もトレーニング取り組み開始当初は同様な話しをされていた為、「大学へ進学しても競技を続けたい」と言う言葉を聞いた時は、一瞬耳を疑いましたがホッとして肩の荷が下りた様な気持ちにも成りました。

(ご本人の取り組み姿勢や努力が結果を引き寄せた最大の要因です)

 

今回は高重量を扱ったウエイトトレーニングや、ラダーやミニハードル等を使用し細かなステップを踏む様な俊敏性向上の為のトレーニング、また心拍数を上げ身体を追い込む様な有酸素系トレーニング等には一切取り組んで頂いておりません。

行った取り組みは、先述の膝のリハビリの方と同様、動作改善のトレーニングのみです。

身体操作(動作)の技術的な側面の強いトレーニングを採用する事で、事足りてしまったと言う表現が適切かも知れません。

(当施設は高重量を扱うトレーニングや、有酸素系の追い込むトレーニングを否定している訳ではございません)

 

私の印象ですが、高校等も含め現在スポーツの現場で行われているウエイトトレーニング等では、動作の正確さ以上に、扱う重量の大きさに拘る傾向が有る様に感じます。

(当施設の見方に成りますが、扱う重さの数値とパフォーマンス向上との間に相関関係ではなく、乖離が有ると言う印象です)

 

 筋力トレーニングを用いて身体トラブルを改善したり、スポーツ競技パフォーマンスの向上等で成果を上げて頂く為には、方法が適切でなければ成りません。

 また、筋力だけに囚われるのではなく、トレーニングを行う方の目的や、置かれている状況、身体の状態等を包括的に捉え、統合的に取り組む事の出来る具体的な手法が必要です。

 

物理学で有名なアインシュタイン博士の相対性理論のお話しが有ります。

相対性理論は宇宙を記述する理論ですが、時間と空間、及び重力等を別々に扱ってはいません。

重力は時空間を歪ませ、重力の強い場所では時間はゆっくり進む等、それぞれをお互いの影響や関係性の中で捉えています(各々の現象をバラバラに捉えていては、解答は永遠に導けません)。

 

人のトレーニングに置き換えて見れば、筋力や身体の柔軟性、心肺機能や脳や神経系統等の働き、重力や慣性力等外力の影響を大きく受ける動作の問題、スポーツ競技等で有れば使用する用具(バットやラケットetc.)の問題等を個別(バラバラ)に扱っていては、取り組みの方向性は中々見えて来ません。

その様な取り組みの方向性は、人体と言う名の宇宙を自らブラックボックスにしてしまい、不調や怪我、スポーツ競技パフォーマンス等の停滞や低下を招き、迷路にはまり込むと言ったイメージでしょうか…

 

物理学の世界では、相対性理論と量子力学の2大理論の統合が、悲願だとも言われています。

両理論を統合する為の完全な理論(パズルのピース)は未だ発見されていないとの事です。

 

当施設では、筋力や身体の柔軟性、呼吸循環器系等や脳や神経系統の働き等を同時に一つのトレーニング方法で改善(向上)して頂く訳ですが、複数の機能や能力の向上(改善)の間に有るパズルのピースと成る部分が、ジムで会員の皆さんにお伝えしている正しい動作(身体操作技術)の部分です。

 

正しい動作の本質とはいったい何処に有るのでしょうか?

 

これ以降は現在様々なメディアでご活躍されている、青山学院大学教授で生物学者の福岡伸一先生の生命現象の定義で有る「動的平衡」と言う考え方を引用させて頂きながら、トレーニングに於ける正しい動作の本質について、客観視してみたいと思います。

 

多少踏み込んだ内容に成りますが、当施設のトレーニングの全体像をご理解して頂く上で大切な部分でも有りますので、お付き合い頂けたらと思います。

 

この文章を読んで頂いている皆さんは、エントロピー増大の法則と言う言葉をお聞きに成った事はお有りでしょうか?

秩序の有るものは秩序がない方向にしか動かないと言う、宇宙の大原則だそうです(宗教、またはスピリチュアルな世界のお話しではなく、科学⦅物理学⦆的な見地でお話しをさせて頂いています)。

元々は統計力学や熱力学等で用いられて来た定理の様です。

整理整頓した部屋や机の上が徐々に散らかったり、熱い飲み物が冷める等、物質や熱が乱雑に広がって行き、手を加えない限りは元に戻らない現象等が、一般的な例として挙げられている様です。

(建造物等形の有る物が風化してなく成って行く現象等も、エントロピー増大の法則の例として挙げられています)

個人の人生観や組織の在り方、社会現象等についてもエントロピー増大の法則を引用して、ご説明をされる方もいらっしゃる様です(最近の社会⦅世界⦆情勢、また自分自身の身を振り返って見ますと個人的には思わず納得してしまいますが…⦅涙⦆)。

 

福岡伸一先生のお話しに因りますと、生命現象は常に秩序がない方向へ動いており、私達人間はその動き(流れ)で有るエントロピー増大の法則に抗い、生命を維持していると言う見方も出来るそうです。

 

人の細胞分裂とは、秩序を乱す方向へ向かう古い細胞を先回りして自ら壊し、新たな細胞を作り出して、エントロピー増大の法則に抗い(流れで秩序を回復して)生命現象を維持する為の生物の戦略に成るそうです。

 

福岡先生は、生命現象とは内側で完結する様な閉じた世界の活動ではなく、外側に対して開かれた活動の事を指すとも言われています。

 

例えばミクロの視点で見てみますと、細胞は細胞膜を介して外側(他)の細胞と物質や情報の交換を行っています。

もう少しマクロの視点で見てみますと、筋肉や脳、臓器等へは肺から心臓、血管を経由して酸素が供給され、また二酸化炭素が回収、排出されています。

また、筋肉や腱と脳や神経系統の間には、様々な経路で支配(制御)関係が有ります。

それらの細胞間や器官や臓器の間に有る活動や関係、言い換えますと秩序の維持や回復が、生命現象で有ると福岡先生は定義されています。

 

例えば、トレーニングで筋肉の量を大幅に増やす取り組みをしたとします。

増えた筋組織を維持する為にはその分の酸素が必要です。

肺活量を増やす等して不足分の酸素を取り込む事が出来ないと、心臓は拍動をより多く、また強くして、血液(不足分の酸素)を送り込もうとします。

結果、心臓や血管には血圧の上昇等、必要以上の負担が掛かってしまいます。

生まれ持った筋肉と呼吸循環器系統との秩序(バランス)は大きく崩れる事に成ります。

これは福岡先生の言われている生命現象とは真逆の方向性です。

実は正しい動作でトレーニングが出来ますと、動的な肺活量も増加して、筋肉と呼吸循環器系統との秩序は失われません。

どの様なトレーニングを選択されるかは、その方のお考えに因りますが、スポーツ競技で激しい運動をされる様な方、また一般の方でも長期的な視点で見れば、身体の秩序を失う様な状態は、当施設としては余りお勧めは出来ません(身体の苦しさから来るパフォーマンスの低下や心不全等健康上のリスクを払拭出来ない)。

 

身体の秩序を失うトレーニングの例としては、脳や神経系統と筋肉の秩序が失われる(身体の動きが悪く成る=筋緊張が増加する)、筋肉と関節の秩序が失われる(関節に負担が掛かる様に成り痛みや怪我が発生する)、等々枚挙に暇が有りません。

 

前述の膝の手術をされた80代の女性の方や、部活動をされている高校生の方の取り組みに於いては、身体に様々有る機能、また器官や臓器の間の秩序を失わない取り組みを実現出来た事が、結果を引き寄せた最大の要因にも成っています(痛みが出たり、残る様なトレーニングは身体の秩序を奪います)。

 

秩序を失わない様包括的に捉え統合的に取り組むと言う観点に於いては、実は心(精神)の部分も切り離して考える事が出来ません。

 

当施設のトレーニングに於ける身体操作の技術体系には、この心の部分の在り方(取り組み全体の中での立ち位置)が大きく係っていて、身体トラブルを改善したり、高いスポーツ競技パフォーマンスを発揮する取り組みをして頂く上で、重要なポイントに成っています。

 

勿論、当施設は心の問題を扱う様な施設ではございませんので、道徳(思想や哲学)や心理学、また一般論の様な視点でのお話しではございません。

相対性理論が重力や時間、空間等を統合的に扱っている様に、身体機能(器官や臓器の働き等)と心(精神)を、トレーニング行う観点で科学(生物、または物理学)的に統合してみたいと思います。

 

以下、私の経験則(失敗談)からのお話しです。

 

私が携わっている空手道は突き蹴りで相手をノックアウトしたり、また柔道の様に投げたり、締め技や関節技を掛けたりもする激しい競技です。

私自身怪我は多く経験しましたが、試合中に怪我が理由で棄権した事は有りません。

折れた拳で殴り合ったり、肋骨が折れた身体で取っ組み合いをしたり等、怪我を抱えながら試合をした経験は幾つか有りますが(お勧め出来る様な事ではございません…)、試合中は痛みより、壊れてしまった身体に対する怒りの方が勝っていて、気持ちが折れる様な事は有りませんでした。

私は怪我等の痛みに対しては耐性が有る方でした。

それは空手を始めた当初に所属させて頂いた団体(現在所属している団体とは異なります)が有していた哲学(思想)や、厳しかった稽古が影響をしています。

怪我等の痛みはある意味主観的な物です(同じ痛みでも耐えられる方とそうでない方がいらっしゃいます)。

自分自身の意識で自ら作り出してしまっている壁を壊す事を、以前所属させて頂いた空手団体の哲学や、厳しい稽古で私は学ばせて頂いた訳ですが(当時空手に取り組まれた方で、同様のご経験をされた方も多いと思います)、この様な精神的(意識的)な強さでは超える事の出来ない大きな壁(物理的な限界)が実は存在します。

 

腰痛は、多くは姿勢や動作(身体操作技術=フォーム等)が良くない事で起こります。

重量物を扱うお仕事やトレーニング等で、悪い姿勢や動作等で腰の筋肉に負担を掛け続けますと、痙攣が起きる事が有ります(良い姿勢や動作を身に付けて頂ければ、多くの場合、腰に負担は掛からず腰痛も起こりません)。

私も以前腰の痙攣を経験した事が有ります。

空手の練習中に古傷の半月板を痛めて膝関節が外れる様に成り、それを庇う悪い動作で腰に負担が掛かる様に成った事が原因でした(僅かなバランス変化でも身体は反応を示します)。

 

この時の痙攣は強烈でした。

道場(ジム)の掃除を終え自宅へ帰ろうとしていた夜中の12時頃、突然筋肉が断裂してしまうのではないかと思う程の強い痙攣が起き、駐車場で倒れてしまいました。

数秒間隔で襲ってくる周期的な痙攣が5時間以上も続き、それが治まってからも、上体を起こしたり、脚を動かす等して腰の筋肉に少しでも刺激が入りますと、その度毎に同様の痙攣が起こってしまいます。

痛みに対する耐性は有るものの、痙攣の収縮が余りにも強すぎる為、座ったり立ったりは勿論の事、寝返りも打てず、身体のコントロールは全く(物理的に)効きません。

痙攣毎に横隔膜も強く収縮し、思わず呻き声も出てしまいます。

翌日以降も腰に刺激が入る度に痙攣が起き、結局自宅で2週間程寝たきり状態と成りました。

『エイリアン』と言う地球外生命体が人の身体に寄生する映画が有りますが、この時も、体内で得体の知れない生物が、暴れ回ている様な感覚です。

脚が攣る等軽度な痙攣で有れば、深呼吸等で収まる場合も有りますが、この時は全く効果は有りませんでした(深呼吸している自分が、お釈迦様の掌でじたばたしている孫悟空の様にも感じられました)。

腰の張りや痛み等、痙攣の予兆は有ったのですが、痛みに対する耐性が災いし、甘く考え過ぎていたのかも知れません。

痙攣は、神経的には脳、脊髄、末梢神経間の不随意(無意識)レベルの異常が原因で引き起こされています。

痛みに対する耐性が有り、心(精神力=意識)が強くても、痙攣(不随意⦅無意識⦆レベルで起きている事)をコントロールする事は、物理的に不可能です(呼吸法等無意識レベルに働きかける様な高度な技術も有る様ですが、一定の限界を超えてしまうと、コントロールは難しい様な気がします)。

この他にも、意識的な心の強さでは越える事の出来ない、身体の限界は多く存在しています。

 

以上の事から、身体を破綻させない為の身体操作技術が、心(精神力=意識)より優先されると言う生物学(物理学)的な論理が成り立つかと思います(視点を変えますと、身体操作技術が身体能力を向上させると言う見方も出来るかと思います)。

 

これを読んで頂いている皆さんは、スキーをしたりオートバイに乗った事はお有りでしょうか?

私は一時期趣味の範囲では有りますが、スキーやオートバイに凝っていた時期が有ります。

スキー板やオートバイの操作では、我儘(力任せで強引な操作)は一切通用しません。

重力(雪面や路面に押し付けられる様な力)や慣性力(曲がる時や加減速する時に働く飛び出す様な勢いの力)、反作用や摩擦力の力(雪面や路面をグリップする様な力)等の外力と調和した素直な操作技術が必要と成ります。

我儘な操作は、スキーやオートバイでは転倒やコースアウト、クラッシュ等に直結してしまいます(急ブレーキや急ハンドル等の自動車の運転操作を思い浮かべて下さい/スキーやオートバイでは私も良い勉強をさせて頂きました⦅苦笑い⦆)。

スキー板やオートバイの挙動の全ては外力(物理法則)に支配されていますので、素直に成らざるを得ません。

スキーやオートバイで有る程度の速度を得ると、外力がより増幅されて感じ取り易く成りますが、それ等は私達人の身体にも常に働いている力です。

身体トラブルを改善したり、スポーツ競技パフォーマンスの向上等を目指して頂くレベルの取り組みに於いては、それらの力と調和した身体操作技術が必要と成ります。

 

ここでも、心(我儘=精神)より外力等に調和した身体操作技術が優先されると言う論理が成り立つかと思います。

(一定の速度を超えてスキーやオートバイの挙動に集中し、操作をしていると、不思議と頭⦅意識?⦆がクリアーに成り、自身がゲレンデや峠と一体に成る様な感覚を覚えるのですが、それは何を意味していたのか今でも考える事が有ります)

 

*実は、当施設に於いては、外力に調和した身体操作技術と、身体を破綻させない為の身体操作技術は完全に一致していて、それが小学生からご高齢の方、また競技アスリートの方迄多様な方達が、同じ空間でトレーニング出来ている一つの理由にも成っています。

この辺のお話しもまた機会を頂き、少しづつさせて頂ければと思っています。

 

包括的に捉え統合的に取り組むと言う意味では、広く使われている心技体と言う言葉が有ります。

文字通り、事に臨むに当たっては、心と技術と身体の三要素の充実が大切で有り、その内のどれが欠けても事はなし得ないと言う言葉です。

この言葉は、古木源之助先生(柔道の創始者嘉納治五郎先生が学ばれた師匠の一人)のご著書、『柔術独習書』に語源が有ると言われている様です。

 

現在広く使われている心技体と言う言葉ですが、実はこの言葉の文字の順番(意味的な優先順位)に拘る方達が一部いらっしゃいます。

一般的には文字の順番通りに先頭に来る心(精神=意識)が一番大切、と言う理解が多い様に思います。

 

古木先生は『柔術独習書』の中で、心技体ではなく、体技心の順で書かれていたそうです。

現在、ヨーロッパに位置するフランスは、日本を超える柔道人口を誇る柔道大国です。

フランスを拠点に世界に柔道を普及された方に、道上伯と言う方がいらっしゃいます。

道上先生はフランスの方々に柔道の目的を説明される際、体技心ではなく心技体の順で伝えていたそうです。

日本の文化である柔道を普及するに当たり、何らかの意図が有りそうされたのではないかとする説が有る様です(キリスト教やユダヤ教等、海外の方達が心の拠り所とする一神教では、日本の方達が影響を受ける神道等とは違い、言葉で著される特定の教義が必要と成りますが、その辺りに普及上、順番を変更せざるを得ない理由が何か有ったのでしょうか?/柔道の創始者である嘉納治五郎先生は、生前に柔道の目的として様々な言葉を残されています)。

 

それ以降は日本でも、体技心ではなく、心技体の順で広まって行った様です。

 

 当施設では、身体トラブルを改善したり、スポーツ競技パフォーマンスの向上等を目指して頂く取り組みに於いて、身体が破綻してしまっては全ては終わってしまいますので、先ずは身体が大切、次に秩序を失い身体を破綻させない為、または逃れられない外力等と調和する為の技術(身体操作技術)が必要で、心(精神=意識)は最後で技術を補う部分、詰まり古木先生がご著書の中で書かれていた順番通りに体技心と捉え、トレーニングに於ける身体操作技術もその様な考え方に基づき体系化されています。

 

スポーツ競技のトップ選手は多くがポーカーフェイスで有り、闘志(心=精神)を前面(外)に現わしてプレイする方は少ない様な気がします(感情を抑えていると言うよりは、取り組みの姿勢や方向性が身体をそうさせているイメージでしょうか)。

心(精神力=意識)で及ばない部分が有る事を知れば、自ずと謙虚に成る事が出来ます(謙虚に成らざるを得ません…)。

謙虚さは自身を変える事に繫がり、未来の強さに繋がって行きます。

 

 私が携わっている武道等もそうですが、道と名の付く日本の文化では、身体(肉体)と精神を別々に分けて考えません(様々な現象を包括的に捉え統合しようとしている現代物理学の考え方を連想させる様で、個人的には非常に興味深いです)。

 

身体と精神双方の関わり合いの中で、各々の限界点を知れば、取り組みの方向性は自ずと明確化されます。

 当施設でトレーニングに取り組んで頂き、多くの方達が明るく前向きに成られるのは、その様な所に理由が有るのかも知れません。

 

 包括的に捉え統合的に取り組む為には、その中に矛盾(嘘)が入り込めません。

相対性理論と量子力学を統合され様としている物理学者の方達の、最大の苦悩もそこに有ります。

 誤った情報や、書き換えられて行く思想や哲学から離れて自由に成る為には、本質を深く追求する必要性が有ります。

当然、私もまだまだです。

当施設へお越しに成る方々とご一緒させて頂き、学ばせて頂ければと思っています。